いつだったか在庫について書きました。何を書いたか忘れてしまったので、少しだぶるかも知れません。
倉庫や工場にある商品、原材料、製品などを在庫といいます。倉庫にあるのは作ったのにまだ売れていないモノ、工場にあるのはまだ出来上がっていないモノです。つまりお金をかけてつくって、まだ売れていないものです。
在庫は倉庫や工場にあるので、経理が実際に管理するわけではありません。ただ会計上、大切な資産ですので、会計に必要な管理方法を説明したり、在庫の時価など会計に必要な情報を収集する必要があります。
また適正な在庫水準になるようにアドバイスするのも経理の仕事です。ただここでやっかいなのは「適正な在庫」なんていうけれど、誰でも納得できる適正な基準はないことです。
会計では、よく商品回転率や交叉比率(回転率に利益率を加味した指標です)で在庫をコントロールしようとします。でも、そんな理屈で現場は動いてくれません。
物流部門は、倉庫を一杯にしないと仕事が減ってしまうし、販売部門は売上が大切なので余分な在庫を持ちたがります。
生産部門も欠品が発生しても、すぐに増産ができないので、やはり多めの在庫を持ちたがるからです。
在庫が増えて困るのは、在庫資金や在庫管理の費用で資金が不足してしまう経理だけです。
随分乱暴な意見かもしれませんが、在庫を削減するには理想的な在庫を決めてしまって在庫を置く場所を削減してしまうことです。
我が家のガキンチョを見てるとよく分かります。部屋いっぱいにマンガや遊戯王のカードや、たまった宿題を散らかして私が食事をする場所すらありません。
えっ?「在庫と躾を一緒にするな・・」。う〜ん、そ〜か教育が悪いのか。そういえば私もこどものころは親によく叱られていました。でも教育が必要なのは在庫も同じですね。
【今回の推薦本】
野口悠紀雄著「資本開国論」。日本を大づかみでとらえて、分析して今後の進むべき方向を示唆しています。大胆に工業経済からの脱皮と外資の導入が日本のとるべき道だといいきります。
著者の主張には賛否両論あると思います。
日本には「物作り」こそ、経済の王道だという考え方が根強くあります。もうひとつは「ライブドア事件」に象徴される「いきすぎた資本の論理」に対する嫌悪感です。経済だけで割り切れるものではないと思います。
この本でも触れていますが、著者の常日頃からの年金制度に対する警鐘は、分かりやすく論理的です。選択肢は限られているのに、切羽詰まるまでどうしようもできないのは日本人の特性なのでしょうか。
(このブログは毎週木曜日に更新予定です)