有価証券報告書の「事業等の概要」の中に「継続企業の前提に重要な疑義を抱かせる事象」が記載されている会社がある。
この記載は、ひらたくいうと監査法人が「この会社は破綻する可能性がある」という情報を開示しているということだ。
この制度ができる前は、この疑義が開示されると取引先や投資家や従業員の行動に大きな影響を与えて、「会社の死刑宣告」に等しいのではないか、という話もあった記憶がある。
でも実際はそうならなかった。
「継続企業の前提に重要な疑義」を抱かれている会社は、かなりの数にのぼるようだがなかなか破綻しない。
なぜ破綻しないかというと理屈は単純のようだ、人間には「不治の病」というのがあるが、会社には「不治の病」はないからだ。
どんなに業績が悪い会社でも「増資」というカンフル剤を打てば、存続できる。
思えば金融不況もそうだった。
あれだけ不良債権を抱えていた金融機関も、国自ら資金援助をしたら立ち直った。潰れた銀行は、増資してもらえなかっただけ。
かくて損をしたのは日債銀と拓銀の株主。他の銀行も経営実態は似たようなものだった筈。生きるも死ぬもオーナー次第というのが実情だ。
どんな会社もオーナーさえつけば継続できる。
最近の新興市場の「胡散臭さ」はそこにある。
「溺れるものは藁をも掴む」の諺通り、生き残るためには怪しい資金にまで手を出してしまうようだ。
本来、退場すべき会社が退場しないために、市場がどんどん淀んできているのが実情ではないだろうか。
このごろそんな気がしてしょーがない。
【今回の推薦本】
水木揚著「東大法学部」
私の世代は「東大法学部」というブランドは、あこがれであり、雲の上の上の存在でした。文系のエリートたちはステレオタイプに「東大法学部」を目指しました。
「ドラゴン桜」などを読んでいたので、あまり変わっていないのかと思っていたのですが、どうも様相は随分変わってしまったようです。
あの灘高校でさえ、東大を受ける生徒は学年の半分を切ったそうです。
思えばパワーエリートはハーバードやMITなどのMBA出身者や早稲田の慶応など私立大学の出身者の占める割合が増えています。
東大の歴史は明治以来の日本の歴史そのものでした。
「富国強兵、殖産興業」から「高度成長、所得倍増」などの国策の推進するエリート養成機関が東大でした。
現在の姿は、中央集権的な官主導の教育行政の行き詰まりを、そして真の国際化に対応できず、閉塞感が漂う日本の政治と経済を象徴している気がします。
(このブログは毎週木曜日に更新予定です)