昨年からずっと、いまも、会社法の解説書を読んでます。商法と比較して、とにかく純資産の部(私は商法の「資本の部」の名称の方が好きです)が複雑になりました。
所謂、ファイナンスの自由化と国際化の影響だと思います。
でも、まだ実務では上場会社の端株買取を除いて自己株式や種類株式などは一般的ではないため、どうも実感として理解することができません。
いくら恋愛小説を読んでも、実際に経験してみないと「人を好きになる」気持ちが分からないのと同じです。もしくは畳水練とでもいおうか・・。
世の中には私のように新しいことに臆病な人と、「新しいことが大好き」な人がいます。優秀な経営者の方は後者のタイプが断然多い気がします。
いっぽう実務家は新しいことを論議するのは好きなのですが、できればリスクは冒したくないというのが本音・・。
実務では「自己株式を持ちたい」、「種類株式を発行してみたい」、「とにかく他の会社がやっていないことをやりたい」という経営者の方が多くハラハラさせられることばかりです。
9月末にはいよいよ「金融商品取引法」が施行されます。またまた施行されてみないと分からないことばかり。会社法は「何でもあり」の改正だったのですが、金融商品取引法は「規制が、がちがちに厳しくなる」という気配のようです。
さてこの改正は日本経済にとって好ましいものなのでしょうか「水清くして、魚住まず」ということにならなければよいのですが・・。
【今回の推薦本】
大塚英樹著「流通王 中内功とは何者だったのか」
「功」は正しくは「つくり字」で、力の上は出さないそうです。「功では力が抜けるから」だそうです。力を抜かずに流通革命に邁進したのが中内さんの人生だった気がします。
日本の高度経済成長時代は良くも悪しくも「ダイエー」とともにありました。経営が悪化してからは、中内さんを否定する論評ばかりが目立ちますが、著者は中内さんを経営者としてではなく革命家としての価値を論じます。
思えばダイエーと松下製品の「安売戦争」では、庶民はダイエーに快哉を叫んだものでした。マスコミも製造業からサービス業の時代に変化した、という論調でした。
時代は変わりました。低成長時代のデフレ経済下では中内さんの経営手法では会社の存続は不可能でした。
でも中内さんは流通を変革したし、メーカー主導の経済に警告を発し消費者主導という文化を残しました。
リクルート、そごう、鐘紡、ミサワホーム・・日本は創業者が報われない国になってしまった気がします。
晩年の中内さんは、自分の境遇を「ワーテルローの戦いに敗れてセントヘレナ島に流されるナポレオン」になぞらえていたそうです。
(このブログは毎週木曜日に更新予定です)